ダリへの道も一歩から

天才と言われている絵画の巨匠は本当に天才なのか?努力によって才能を開花させることはできるのか。

ダリへの道はまだまだ遠いー卒業制作展を見に行ってー

美術コースの卒業制作展を観に行った

年末に卒業制作展に行ってきた。
学校の近くにある官民共同運営の施設の一部を借りて、毎年行っている企画だ。
4日間場所を借りて、梱包から配送、設置、受付や施設の案内まで全て生徒達メインで行うイベントである。

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大きな作品ひとつ作る者もいれば、いくつかの小品を組み合わせる人もいた。

商業施設の上の階で行っていたので、ふらりと入ってくる人もいなかったわけではないが、観に来た人のほとんどは生徒の身内、という小さな制作展だ。

先生たちが勧めていたのは大きな作品を作ることだった。
今まで描いたことがないほど大きな作品、
100号キャンバスを使うことを勧められたらしい。

娘は頑ななところがあって、人のアドバイスを素直に受け入れない傾向がある。

その時にも勧められた100号は使わず、規格外の70号と小品で自分のスペースを構成していた。

規格外のキャンバスで制作をする

100号は162cmx130cm
70号とやらは規格外らしく、60号が130x97cm、80号が145x112cmなので、その間をとって自作したらしい。
※上記サイズは人物制作用のサイズのようだ。風景を描くときにはサイズが若干変わるらしい。

娘の作品が展示されているのを見るのはこの時で4度目であった。
高校1年から年に一回ずつ、学園祭で毎年見ていたからである。

娘の通っている高校は普通科の中に美術コースがあって、少人数ではあるがそのコース中のほとんどの人が美大に進学する。
小学生の時から絵の教室に通っている者も少なくなく、高校入学時点で絵歴3年以上の人が半分を占める。
残り半分は中学に入ってから絵を描き始めた人だが、娘の次にキャリアが短い人でも、中2の冬からだと聞いていた。
(娘が絵を描き始めたのは、中3の10月下旬からである。)
一番キャリアの短い娘が、一番上手にかけないのはしごく当然であった。

美術は英語や数学のような正確な答えのない教科である。
だが、数学の前に算数という教科があるように、美術作品を作るには美術の基礎ができていなければならないのだ。
それは、形であったり、光と影であったり、空気感だったり、重量感だったりする。

描いた枚数が多い人の方が上手に描ける、というわけではないが、枚数に比例して上手く描けるようになっていく。
鉛筆で描く分にはまだよかったのだが、色を使うのはずいぶん苦労しているようだった。
一番たくさん絵を描いたクラスメイトの100分の1くらいしか描いたことがなかったといっても過言ではないだろう。
初めての学園祭を見に行って、他の生徒との画力の差を再認識した。
同じ学年でも、上手に描く子はいるんだなぁ。と感心した。

少しずつでも描けば描くほど『描ける』ようになる

始めた年齢は追いつけないが、描くキャリアは少しずつ縮まっていく。
日が経つほどに描いた枚数は多くなり、比例して上手く描けるようになっていく。

二度目の学園祭では、同学年の他の子達にだいぶ画力が近づいてきたと思えるようになっていた。
授業の話や成績表などから考えると、得意な部分ではクラスで二番目くらいを取れる時もあったようだ。

高校3年になったある日、
「ビリからのスタートだったから、これ以上順位が下がることはない。かえって楽だったよ。」
と話してくれた。

キャリアがそのまま画力の差であった最初のころ、誰の目にも『絵の初心者』だとわかってしまう状況がしばらく続いていたのだ。
辛くなかったはずはない。
だが、おかげでメンタルは鍛えられたのかもしれない。

その年の学園祭では、何年描いているのかは関係ないんだと思える作品がいくつか展示されていた。

描けるようになっただけではだめだった卒業制作展

そうして見に行った卒業制作展。
同学年の美術コースの人の作品と並んで娘の作品も展示されていた。
卒業制作と銘打つだけあって、力の入った作品が多く、楽しく見学できた。

100号を使った作品はやはり圧巻で、大きさもさることながら、一枚のその作品に掛ける熱意を感じられるものであった。

娘の絵は6枚展示されていて、連作になっていた。
面白い。。。かなぁ?
なんだか、違和感を感じた。

私は親ばかなので、いつもは基本手放しで「娘の絵がよく描けているなぁ。」と思ってきた。
うん。描けてはいるのかもしれない。。
でも、なんだろう。この腑に落ちない感じは。

連作は一番大きな70号を右端に置き、その左上にイスラム風の建物。その下に青い花火。その左に真紅のバラ。その左上にホタル。下に空。

技術的には確かに学園祭の時よりも進歩しているように思える。
薔薇はバラらしく見えるし、
雲もだいぶうまく表現されている。

でも、なんかすっきりしない。

花火は花火にみえるけど、なんだか花火の華やかさがないし、ホタルはなんか私には理解できない。

でも一番すっきりしないのはコレだ。
一番大きな70号の作品。

これは何を描いているんだ?
そういえば、石膏像だって言ってなかったっけ?
毎年校内で行っている石膏像のデッサンコンクール。
今年もあたってしまったガッタメラータを描いているって言ってなかったっけ?

あれ。
でも、違うなぁ。
これはガッタメラータじゃない。
女の人?どうかな?でもなんか違う。

ガッタメラータは美術の絵の練習のために、いくつか使われる有名な石膏像のうちのひとつ
ルネサンス期の彫刻家ドナテッロが作成したブロンズの騎馬像の人物の上半身をコピーしたものである。
フィレンツェの教皇庁に仕えた傭兵隊長であったガッタメラータは、しわの深い前髪の後退したおじさんであるが、勇猛な傭兵らしい力強さと百戦錬磨の戦士はこうであったのではないかと思える厳しい表情で佇んでいるのだ。

おかしいな。
ガッタメラータじゃない。

娘のメインの作品を前に悩む私。
メインの作品が一番不可解な作品であった。

家に帰ってから娘に確認して分かったことは、その絵はガッタメラータではなく、ガッタメラータの胸の鎧部分の真ん中についている天使を描いたものだと分かった。

なぁんだ。
ガッタメラータじゃなかったんだ。。。。。

石膏像の一部分を拡大にして描く意味とは

 でも、なんか釈然としない気分。
よく考えてみて理由がわかった。

その絵を描くどんな意味があるのか私にはわからないのだ。

そもそも油絵ってヨーロッパからきたもので、
その描き方を日本人である娘は練習していて、その練習の過程でヨーロッパの石膏像とか描いているわけで、その過程の校内デッサンコンクールとかで三年連続ガッタメラータを描くはめに陥って、だからガッタメラータを卒業制作の題材にするんだって聞いていたんだけど?
まぁ、好きなように描いていいって言われた卒業制作作品だから、好きなように描けばいいんだけど。
なんでよりによって、胸像の鎧の飾りなんかをアップで大きく描くんだろう?

そこまで考えてはたと気づいた。

娘の今回の卒業制作の連作は、自己本位の主観的な作品群だったのだと。

自己本位の主観的な作品群。
今回一番違和感を覚えた部分はそこだったんだ。

好きで絵を描いているだけなら自己本位で構わない。
趣味ならどんな風に描いていたって、主観的なだけであったって問題にはならない。

でも

もし、娘が絵を生業にするのなら
油絵作家とかでなくても、何かを表現することを生業としようと考えているのだったら
人に評価してもらうためには、残念ながらそれでは全くダメなんだ。

どうしよう。

どう伝えればいいかな。

もんもんと悩みながらも黙っていることはできない私は、率直な感想を娘に話してみた。
すると娘が答えて言ったのだ。

「卒業制作展の受付してる時、暇だったから他の子の絵を見ていたの。同じように自分の絵も見ていてわかったことがある。私の絵はひとりよがりだって。塾の先生に、もっと客観的に離れてみることが必要だって言われていた意味がやっと少しわかった。」

同じこと思ったんだ。

考えてみれば、娘の作品はひとりよがりの作品が多い。
ひとりよがりの作品ばかりだといえる。

画塾の先生もそれについてアドバイスしてくれてたんだなぁ。

絵を描くっていう作業は、自分の頭の中のアイデアを二次元に表現していく世界で、ひとりよがりになりがちなのだけど、それに説得力を持たせるためには、どう描いていけばいいのか、もっともっと考えなければいけないんだと、思い始めているようだ。

ダリへの道はまだまだ遠い。
でも、一歩ずつ進んでいくのを見守るしかない。

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